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氏名:村上喜良(むらかみ きよし)
生年月:1957年12月

出身大学院等:
 上智大学大学院哲学研究科哲学専攻博士後期課程中退

キーワード
生、死、愛、真理、存在

ライフワーク
私のライフワークは、大きく分けて二つあります。一つは、日本ではあまり為されていないハイデガーとトマスとの比較研究を続けることで、「私がここに存在している」のは実は「私がここに存在することを許されている」からであり、畢竟、何ものかが存在するのは「それが愛されている」からに他ならないことを明らかにしたいと思っています。もう一つは、先との関係で、「生きていること」が「愛されていること」に他ならないなら、私たちはその愛されている生を如何に生きていくべきなのか、また、愛することと愛されることは自分の人生にとって如何なる意味を持つのだろうか、それを学生諸君と共に、探究し続けることです。このように語ることは、人生も半ばを越えた私にとっては、とても気恥ずかしいのですが、これなくしては、自分の人生は空しく過ぎ去ってしまうように、思えてなりません。

自己紹介
私は犬や猫がとても好きで、好きでたまらなく、住まいはマンションで飼えないので、道端に彼らがいると、ずーっと見入ってしまい、一緒にゴロンと横になってしまいたくなります。彼らは何を考えて生きているのか、きっと人間なんかよりも、達観して生きているようで、私にはうらやましくてなりません。もしかして、私は考えること、哲学することが本当は大嫌いな哲学者なのかもしれません。そんなことを言うと、学生は怖い顔をして、私をにらみ、ならどうしてそんなにしてまでラテン語やギリシア語やドイツ語の哲学書を一生懸命読んでるんですか、結局、先生は哲学が好きでたまらないんですよ、と怒られるのですが、どうも私にはそう思えないのです。だから目下のところ、哲学をせずに生きていくにはどうしたらいいか、哲学しています (!?)。何やら、禅問答みたくなってきたので、よしましょう。

哲学を志す人へ ─哲学は愛なり─
デカルトはあらゆるものを疑って、誰もが認める絶対的に確実な自己存在を獲得し、そこを基盤に、すべてのことを構築しました。確実なものを捉えるには、確かに疑ってかかることは、とても大切なことなのかもしれません。しかし疑うだけでは、むしろ対象のある側面が見えなくなってしまう、更に言えば、対象が自らを隠してしまうことも、事実あるのではないでしょうか。対象を信じ、愛するが故に、逆に見えてくることがあり、強いて言えば、そのときこそ対象は自らを全面的に開き、己をこちらへと明渡すのではないでしょうか。ならば、疑いは愛を前提としてこそ、実りあるものになるのではないでしょうか。そして哲学が対象と私との、つまり他者と私との、世界と私との良き関係の構築であるなら、まさに哲学は他者と世界への愛情なくしてはあり得ません。愛するが故に対象を疑い、愛するが故に共に傷つき、愛するが故に共に喜び、そこにこそ、良き関係を構築する哲学の営みがあるのです。ならば哲学は愛することであり、その意味を皆さんと考えてみたいと思います。

担当科目
キリスト教思想 1・2、哲学演習 1・2、上級演習 5・6、卒業論文
〈大学院〉 哲学特殊講義(5)、哲学演習(5)、哲学特殊研究(6)

著書・論文
『現代思想への道程』、共著、北樹出版、1990年
『知の軌跡』、共著、北樹出版、2004年
トーマス・シュランメ『はじめての生命倫理』、翻訳、勁草書房、2004年