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■キーワード 超越論的哲学、認識論、存在論、自我論、自己意識論(心の哲学) ■ライフワーク わたしは、主として十八世紀ドイツの哲学者カントの遺したテクストを読みながらあれこれともの想いに耽っているうちに、気がついてみればすでに四半世紀ちかく暮らしてしまいました。ほかのどの学問でもそれを生涯の業として暮らすことには、言うに言われないようなところがあると思いますが、「哲学」の場合にはまた格別のものがあります。とはいえ、いま試みに幾らか述べてみるならば、「哲学」という知的な営みとはある種の問題となる事柄に「取り憑かれる」ようなものだとでも言えましょうか。すなわち、はじめはなんのことやらわからず、どこからどう手を着けてよいのやらもわからないある種の問題――わたしの場合だととりわけ「認識」・「存在」・「自我」といった言葉で名指される問題――が、それを追究した偉大な哲学者たちの遺したテクストを精読することによって、それが孕む多様な側面とその全体的な連関において少しずつ見えてき、それを解明するために必要な作業とはいかなるものかもこれまた少しずつ見えてくること、そしてそれがそのまま、自己の生死とそれが属する世界とを最もよく理解する仕方の探究にほかならないことがわかってくること、というふうにでも言えましょうか。それが生涯をつうじての修練の過程となることは言うまでもありません。 ■自己紹介 先日わたしの授業に出席している幾人かの学生とお酒を飲む機会がありました。ラテン語の諺にin vino veritasというのがあって「酒中に真あり」などと訳すとわけがわかりませんが、なんのことはない酔っ払えば本性を顕わすということです。で、授業中は借りてきた猫のようにおとなしい学生君たちが虎になって、いろいろと言いたいことを吠えてくれましたが、こんなことを言ったひとがいました。曰く、先生が授業中ものを言っている様子は鬼気迫るものがあって背筋がぞくぞくしますし、近寄ってくると緊張のあまり心臓がどきどきします(念のために言えば、その学生は男子です)。そこでわたしはよんどころなく、こう言い分けをしました。今時の日本では金のわらじをはいて捜したところで、教師が鬼気迫るような気合を入れてやっている授業などなかなか見つかるものではない、これは出血大サーヴィスと心得られたい。するとその学生君曰く、授業中の先生とお酒を飲んでいるときの先生とは別人だと先輩が言っていましたが、本当でした。 ■哲学を志す人へ ─哲学は地道な努力の法悦なり─ 今の世の中には安直に楽しめる面白いことがたくさんあります。漫画もテレビ番組もあれば、ゲームの類もあり、友達とダベるもよし、時給なんぼでアルバイトをしたお金で旅行するもまたよし------。とはいえ安直には手に入らない、手に入れるには長い年月と膨大なエネルギーを費やしてある種の修練を積み重ねるより途のないような楽しみもたしかにあるものです。その一つは哲学することに伴う楽しみであることをわたしは保証します。ただそれを幾らかでも感じ取るためには、たとえば一日数時間を哲学の古典的なテクストを読むために充てるという生活を年単位で送る必要があるのです。安直な楽しみを決して全面的に否定する必要はないけれども、哲学することを楽しむために、いにしえの知者たちが「法悦」と言い表したものを味わうために、必要な労苦に耐えるだけの気概をもってほしいものです。 ■担当科目 哲学とは何か、哲学の基本諸問題、 基礎演習 1D・2D、哲学演習 9・10、上級演習 7・8、卒業論文 〈大学院〉 哲学特殊講義(2)、哲学特殊研究(2)、研究指導(2) ■著書・論文 『存在と自我――カント超越論的哲学からのメッセージ』、勁草書房、2003年 「『集中点』としての自我――「絶対知」の知識学の自我論に関する一考察」、(東京大学)哲学会編『哲学雑誌』 第119巻第791号、2004年 「超越論的自己認識としての超越論的自我論」、立正大学文学部『研究紀要』 第23号、2005年 |